家族旅行で山口県を訪ねました。昨年は門司泊まりで下関の食を楽しむ家族優先の旅程だったのですが、今年は萩泊りで余裕があります。
秋芳洞・秋吉台 |
須佐ホルンフェルス |
龍鱗郷・畳ヶ淵 |
青海島 |
下関からは中国自動車道を使わず北上して国道191号線沿いに進んだので、途中で角島大橋も渡ってみました。角島は下関市北部から長門市西部にかけて分布する油谷湾層群のうち砂岩泥岩互層の川尻層(Yk)により成る島で、大津玄武岩(Ba)に不整合に覆われています。角島側の袂の瀬崎陽の公園から海士ヶ瀬戸越しの神田方面を眺めただけですから、島の露頭を観察したわけではないのですが、角島大橋の南側にある鳩島も大津玄武岩の岩体で、橋から柱状節理を確認することができます。新第三紀のアルカリ橄欖石玄武岩です。
こちらは休憩で立ち寄った最寄りの道の駅に隣接する直径10m程の和久1号古墳。驚くほどアクセスのいい遺構です。幅約1.4m、奥行約3mの横穴式石室が露出しており、天井石も展示されていました。周辺の石材を利用したとすれば日置層群(H2:地質図では黄色で表示されています。少し南にスライドしてみてください)のデイサイト、砂岩、泥岩でしょうか。石室からは土器、装身具に加えて馬具や鉄製の武器も出土したとのことで、古墳時代後期、6世紀後半の造営と推定されているようです。
岡本和夫“山口県豊浦郡豊北町角島の新生界”,地質学雑誌第67巻第791号,1961年8月25日
岡本和夫・今村外治“山口県油谷湾付近の第三系”,廣島大學地學研究報告13号,廣島大學理學部地學教室,1964年6月30日
鷹村權“中国地方新生代玄武岩類の岩石学的並びに岩石化学的研究”,廣島大學地學研究報告18号,廣島大學理學部地學教室,1973年6月25日
葦津賢一・岡田博有“山口県新第三紀油谷湾層群の堆積地質学的研究”,九大理研報(地質)16巻1号,1989年1月17日
二日目は一行が中原中也記念館のある湯田温泉観光に向かう途中で美祢に落としてもらって別行動。目的は言わずと知れたベルム紀負荷コンプレックス秋吉帯の石灰岩に形成された秋芳洞で、訪れるのは今回が初めてです。カルスト地下水系に沿って発達した鍾乳洞に圧倒され、ただただ素直に観光を楽しんできてしまいました。
尤も洞内の照明をLEDに変更して以降、その波長が藻・細菌類の繁殖を助長している可能性があり、鍾乳石の緑化現象が確認されているとのことで、改めて確保してきた画像を確認すると緑がかってきているようにも思えます。所々に観察地点であることを示すマークが貼られていたのは、洞内に生息するコウモリの排泄物等に含まれる栄養塩の除去効果の検証でしょうか。次亜塩素酸ナトリウム溶液に効果が認められるという報道もあり、対策の奏功に期待します (2022年3月に美祢市教育委員会が“特別天然記念物秋吉台保存活用計画”を策定しているようなのですが、Web上で閲覧することはできないようです)。
以下は洞内のスポットのいくつか。それぞれに“百枚皿”、“黄金柱”といった愛称がつけられています。詳しくはパンフレットをご参照ください。洞窟内ですのでGPSデータはありません。
右の子とはMine秋吉台ジオパークセンターのKarstarで出会いました。ガラスに衝突して脳震盪を起こし、ようやく立ち上がれるまでに回復したところだったそうです。
一行と落ち合ってからカレンフェルトを縦断するカルストロード(県道242号線)経由で萩へ。生憎の天候でしたが、ドリーネ、ウバーレの続くカルスト地形の秋を堪能できました。
地質関連の論文は古典となっているものも含めて枚挙に暇がなく、一部のみをご参考までに。
TORIYAMA, Ryuzo(鳥山隆三)“Geology of Akiyoshi”,九州大學理學部紀要 : Series D, Geology,1954年6月30日
TORIYAMA, Ryuzo(鳥山隆三)“Geology of Akiyoshi Part II. : Stratigraphy of the Non-calcareous Groups developed around the Akiyoshi Limestone Group”,九州大學理學部紀要 : Series D, Geology,1954年8月30日
TORIYAMA, Ryuzo(鳥山隆三)“Geology of Akiyoshi Part Ⅲ. : Fusulinids of Akiyoshi”,九州大學理學部紀要 : Series D, Geology,1958年3月15日
吉村和久・井倉洋二“石灰岩地域秋吉台における水循環と地下水水質の形成”,地下水学会誌34巻3号,1992年11月20日
3日目は仙崎。一行が香月泰男美術館、金子みすゞ記念館を訪ねている間に青海島観光汽船に乗船という予定だったのですが、外海の状態が悪く当日は赤瀬コースのみの運行とのことで見送り(青海島観光汽船のHPはこちらです)。午前中は一行に同伴しました。ただこのまま戻って午後を萩観光に充てるのは勿体ないという御一行様のご厚意に甘え急遽須佐に向かうことに。お馴染み須佐層群の砂岩泥岩互層(S2)です。遊歩道を降りて北側の露頭が有名ですが、南側(下右の画像)の迫力もなかなかのものです。
下の画像の遠景の露頭は須佐層群に貫入してホルンフェルスを形成した高山の斑糲ノーライト・石英斑糲岩(高山斑糲岩 Kgb)で、黒雲母試料から1,410±30万年の年代値が得られています(今岡 et al.,1997)。
岡本和夫“山陰西部の第三系”,地質ニュース第243号,工業技術院地質調査所,1974年11月25日
岡本和夫・陶山義仁・松田逸子・西本庸子・掛川克義“山口県北東部の中新世須佐層群”,瑞浪市化石博物館研究報告第10号,瑞浪市化石博物館,1983年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
今岡照喜・西村祐二郎・後藤芳彦・中島和夫・齋藤和男・板谷徹丸“山陰西部山島火山岩の産状とK-Ar年代”,岩鉱92巻8号,1997年
須佐から萩への戻りには阿武火山群の新規の活動の痕跡を残すアルカリ玄武岩・ベイサナイト溶岩(Qb)の露頭を訪ねる経路を辿ってみました。地質図では左下南西に位置する伊良尾山からの溶岩流が北に向かって流れたことが確認できます。
先ずは下流に当る龍鱗郷。ナビが対向車出現の可能性を無視した農道を指示するのでしばらく不安な走行が続きましたが、弥富小川(県道306号)線に向かって田万川を渡る直前で道幅が拡がり、柱状節理の間を抜ける切通しとなります。かなりの規模の層厚を間近に観察できるスポットで、コースとしては萩側からのアクセスがお勧めです。
続いては走行距離で5kmほど上流となる畳ヶ淵。田万川の河岸に柱状節理を敷き詰めたような景観には、寧ろこちらが“龍鱗”ではないかと思わせる趣があります。
宇都浩三・小屋口剛博“西南日本,阿武単成火山群中のアルカリ玄武岩のK-Ar年代”,火山第2集32巻3号,1987年10月15日
角縁進・永尾隆志・長尾敬介“阿武単成火山群のK-Ar年代とマグマ活動史”,岩石鉱物科学29巻5号,2008年8月30日
4日目も青海島観光汽船の運行は赤瀬コース。右の地質図では西北の竹の子鼻を回らずに引き返すルートなのでこの日は津和野観光に付合い、滞在最終日となる翌5日目の11月9日。ついに航路が観音洞コースに延長されました。一周コースではありませんが、竹の子鼻、平家台を回って外海の海食崖を観察することができます。以下、覚書です。
乗船後しばらくして見えてくるのが地質図で南東に見える牛崎の鼻。その先には波の橋立、花津浦と金子みすゞが仙崎八景に数えた景勝が続きます。花津浦の鼻繰岩には観音様が拝むお姿も。この辺りは熊野岳流紋岩凝灰部層(Nkm)で長門市には広く分布し、模式地の熊野岳も長門市です。
竹の子鼻から平家台にかけては貫入岩類のうち黒雲母花崗岩で、含まれている花崗岩の年代値は8,160±180~8,120±180万年と推定されています(尾崎 et al. 2006)。平家台では貫入してきた黒雲母花崗岩のマグマ溜りの上部に大平場頁岩砂岩部層(Hoh)がルーフペンダントとして残されています。大平場頁岩砂岩部層は頁岩・礫岩と凝灰質砂岩の互層構造をもち、熊野岳流紋岩凝灰岩部層に整合的に覆われます。
竹の子鼻と平家台の間にある夫婦洞(黄金洞)の入口では左側の洞の上部から左手にかけ、黒雲母花崗岩と黒色から濃い青灰色の火成包有岩が脈状に入組んでいる様子を観察できます。同様の岩相で有名なものは平家台の西側にある“幕岩”で、白色のマグマと黒色のマグマが混合、急冷・固結したことを示唆している露頭です。
幕岩を過ぎて“馬繋ぎ”の左手に見えるのは“白旗”。この辺りから露頭は頁岩・礫岩と凝灰質砂岩の互層構造をもつ大平場頁岩砂岩部層となりますが、そこに黒雲母花崗岩が貫入しており、直下に存在する岩床から派生したものとされています。遊覧船の解説音声では平家台の名称は平家の落武者が末期を迎えた地となったことが由来との説もあるとのことですから、源氏が白旗を掲げて馬を揃えた様子を喩えたものであるとすれば、なかなか伝承とも整合的な景勝です。
左の画像は観音洞と男性観音。大平場頁岩砂岩部層の互層構造を明瞭に確認することができます。模式地の大平場はこの岬を超えた先ですが、この日は残念ながらここが折返し点。波の静かな日には洞内の女性観音を拝むこともできるそうですが・・・、画像からも観音洞コースを運航して頂いただけでもめっけものと思えるうねりを察して頂けるかと思います。
とはいえ、一周コースを逃したことも残念ですし折角の機会ですから、自然研究路を散策して帰ることにしました。以下はそこで確保した画像のいくつかです。
カモメ岩と十六羅漢のうち大型のものは流紋岩・珪長岩系の貫入岩類(Rp)ですが、小型の十六羅漢の岩体は船越流紋岩凝灰岩部層の流紋岩ガラス質凝灰岩(Nfu)で熊野岳結晶質凝灰岩部層の上位にあります。右の地質図をみてもこの辺りは基本的に船越流紋岩凝灰岩部層の地質で、象の鼻、変装行列といった奇岩類もこれによって形成されています。
自然研究路で間近に観察できる露頭は基本的に船越流紋岩凝灰岩部層だけですから貫入岩類の流紋岩・珪長岩に近付くためには青海島観光汽船の一周コースを利用する他になさそうですが、おそらく日本海が荒れがちな年度後半には難しいのではないでしょうか。次回山口行きの際には季節にも気を配ることにします。
萩に五泊しながら市内観光はホテル近くの松陰神社と松下村塾跡のみというあまり他人には話せない旅程となってしまったこともありますし・・・。
尾崎正紀・今岡照喜・井川寿之“仙崎地域の地質”,地域地質研究報告 5万分のl地質図幅 福岡(14)第15号 NI-52-3-14,産業技術総合研究所 地質調査総合センター,2006年12月26日
今岡照喜・馬塲園明・曽根原崇文・井川寿之・永松 秀崇“山口県後期白亜紀長門-豊北カルデラの地質と岩石:グラーベン・カルデラとの比較”,地質学雑誌128巻1号,2022年6月21日
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