中央の寶暦四甲戌年十二月十三日(
1755
年
1
月
24
日)の塔の幢身にある初代(和泉家六代)忠郷、三代忠厚
~
六代忠冬を始め、今和泉一族の法名が刻まれています。右の塔の記年銘はおそらく安永七戊戌八月●五日と一部判読が困難ですが、同月廿五日(
1778
年
10
月
15
日)が命日の二代忠温を祀ったものかと思われます。