保護処理が施されていないため表面は荒れていますが、農免道路から南薩東部広域農道を水迫方向に少し入ったところに、指宿火山群の活動の履歴を確認することのできる露頭があり、不整合面も観察することができます(上の画像をクリックすれば動画が表示されます)。
テフラ層には、以下のようなものが含まれます。
下位の樟色細粒火山灰層と上位の黄白色軽石層が構成する降下テフラで、大隅半島でも確認されています(“花之木”は大隅半島の南大隅町根占の地名です)。奥野 et al. ( 1995 )[1]は、根占で観察される他のテフラとの層序から年代値を 7 万 5,000 年前頃と推定しており、 NAGAOKA ( 1988 )[2]にある柱状図で今和泉の層暑が 1.5m に達していることから、噴出源が今和泉付近の海底火口である可能性を指摘しています。
ということで、インデックス・ページでも指宿火山由来の地質として分類しました。
川辺・阪口(2005)[3]で採用された新称で、花之木テフラの上位に黄褐色のローム層を挟んで位置する暗灰色火山灰と黄色降下軽石の層ですが、噴出源は明らかではありません。
指宿市、鹿児島市喜入から大隅半島の南大隅町根占地区にかけて分布する、新期指宿火山群起源のテフラ中で最も規模の大きい堆積物で、清見岳付近における一連の水蒸気マグマ噴火によって形成されたと考えられています.清見岳はデイサイト質の溶岩ドームですが、清見テフラは玄武岩質で、川辺・坂口(2005)で採用された久世岳の試料の二酸化珪素(シリカ)とアルカリ成分の含有量は、こちらからpop-up表示される図に示す比率となっています。
奥野 et al.(1995)では、下位より灰褐色火山灰層(Ky-l)、橙~褐色降下軽石層(Ky-m)、黄褐色火山灰層(K-u)という浸食面が挟在する3層として分類されていましたが、川辺・阪口(2005)は、奥野 et al.(1995)のKy-mにほぼ相当する層理が発達した降下スコリア層(Ky-3)を挟んで、下位にKy-1(岩片を含む灰色軽石層と火山砂層の互層)とKy-2(層理が発達した、火山豆石を大量に含む灰色~暗灰色の火山灰層)、上位にKy-4(火山豆石を含む、Ky-2に類似の成層火山灰層)、Ky-5(Ky-3よりも発泡の悪い粗粒スコリア・火山弾層)という5層に再区分しています。川辺・阪口(2005)にある柱状図に拠れば、臼山での層厚は約20mです[4]。
奥野 et al.(1995)は、大隅半島で観察される鬼界カルデラ・姶良カルデラ噴出物との層位比較に基き、年代値として5万3,000年前頃を想定しました。
川辺・阪口(2005)で採用された新称です。茶褐色の権現山ローム層を挟んで、清見テフラの上位に堆積する暗灰色の火山灰層で、清見岳溶岩ドーム、もしくは池底溶岩との関連性が高いのではないかと考えられています。臼山の柱状図(川辺・阪口(2005))の層厚は1.5m弱です。
ローム層との境界が波打っているのは、地層の側方からの圧力による褶曲ではなく、地震によるローム層の液状化に伴う変形・移動に因るものと考えられているようです。
“宿利原”は“花之木”同様、大隅半島の地名ですが(肝属郡錦江町ですから、花之木からは北に当ります)、奥野 et al.(1995)は、噴出源が長崎鼻南東沖であった可能性を指摘し、年代値を3万7,000年前頃と推定しています。
ということで、インデックス・ページでは、これも指宿火山由来の地質として分類しました。
黄褐色の軽石層です。
姶良カルデラ由来ですから、指宿火山に属する地質ではありません。黒茶色のローム層に覆われる発泡性の良い軽石層で、同じく姶良カルデラからの入戸火砕流噴出物に覆われていなければ鮮やかな橙色、覆われているものは変質していないことから灰白色を示します。指宿地方の入戸火砕流堆積物の分布は一部に限られており、水迫でも大隅降下軽石は橙色を呈します
姶良カルデラの大規模噴火の年代値については諸説あり、KOBAYASHI et al.(1983)[5]でも紹介されている木越邦彦・福岡孝昭・横山勝三“姶良カルデラ妻屋火砕流の14C 年代(火山 第2集 第17巻第1号,1972年)”では2万2,000年前、Smith et al.(2013)[6]では約3万(30,009±189)年前等と幅がありますが、インデックス・ページでは、池田 et al.(1995)の14C測定に従い、大隅降下軽石の噴出年代を2万4,000年前前後(2万4,420±720年)[7]としました。
姶良カルデラ由来の大隅降下軽石・入戸火砕流風化火山灰層を覆う黒茶色のローム層内に挟在する角閃石を含む黄白色の火山灰層で、薩摩(桜島)テフラ、喜界カルデラ由来の幸屋降下軽石・幸屋火砕流堆積物・アカホヤ火山灰に覆われます。成尾(2001)[8]には、水迫遺跡北側調査区(現在は保存のため埋戻されています)で、厚さ2cm程度の細粒火山灰層と厚さ5~8cm程度の軽石や黒曜石篇を含む細粒火山灰層の2層に関する記載があり、幸屋遺跡の発掘調査では水成層に混在する露頭が確認されています[9]。岩本火山灰の命名は成尾英仁“西丸遺跡の地質と火山噴出物[10]”に依るもので、当初は名称が定められていませんでした。
年代値は得られていませんが、姶良カルデラ由来の入戸火砕流を覆う、池田火山の活動に先行する角閃石デイサイト・マグマ活動の噴出物の可能性があることから、ここでは指宿火山由来の地質として分類しました。
これらのテフラ層は薩摩火山灰(桜島)、喜界カルデラ由来の幸屋テフラ(降下軽石、火砕流堆積物、鬼界アカホヤ火山灰)に覆われ、その上位には池田火山、開聞岳火山の活動の痕跡が残されています。
こちらの3葉は㈱アース(地球の旅)より提供して頂いた画像。鹿児島大学総合研究博物館の自然体験ツアー(薩摩焼のカオリンと指宿ジオサイトめぐり)が実施された2011年8月6日当時の新鮮な露頭です。
水迫には1993年度に実施された鹿児島サン・オーシャン・リゾート計画に伴う分布調査で存在が確認された縄文~古墳時代・古代の集落跡が残されており(鹿児島サン・オーシャン・リゾート地域埋蔵文化財分布調在報告書(Ⅱ:指宿地区 - 指宿市・喜入町・山川町・開聞町・頴娃町・三島村), 鹿児島県教育委員会,1994年3月)、その後の発掘調査の際の露頭の画像が鹿児島県指宿市教育委員会の“指宿市埋蔵文化財発掘調査報告書”に収められています(“全国遺跡報告総覧”,島根大学附属図書館・奈良文化財研究所)。
第34集 | 水迫遺跡Ⅰ | 2001年3月 |
第35集 | 広域営農団地農道整備事業に伴う発掘調査報告書(水迫遺跡Ⅱ) | 2002年3月 |
第36集 | 平成13・14年度水迫遺跡発掘調査報告書(水迫遺跡Ⅲ) | 2004年3月 |
第43集 | 平成19年度市内遺跡確認調査報告書(敷領遺跡・成川遺跡・南摺ヶ浜遺跡・水迫遺跡) | 2008年3月 |
第51集 | 広域営農団地農道整備事業南薩東部3期地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 (水迫遺跡Ⅳ・西多羅ヶ迫遺跡) |
2013年3月 |
第34集の“水迫遺跡分析的調査報告編”には、成尾英仁“水迫遺跡の地質(P.299~305)”、及び 早田勉“指宿市,水迫遺跡における自然科学分析Ⅰ.水迫遺跡の土層とテフラ(P.307~313 )”が含まれています。
下のものは幸屋から南薩東部広域農道を生見方面に少し進んだところにあった露頭。㈲吉元商会所有地ですが、“縄文の森をつくろう会”へのご厚意で、立入の御許可を頂きました。現在は植生が邪魔をする状態となっていますが、画像をクリックすれば当時の動画が表示されます。
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