“入戸”は国分市にある地名で、山本温彦・大木公彦・早坂祥三“鹿児島県入戸火砕流および吉野火砕流について(鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学),No.11,1978年12月30日)”も英文タイトルが“On the Ito and the Yoshino Pyroclastic Flows in Kagoshima Prefecture”とされている等、“イト”と発音されるのが地質関連の文献では一般的です。沢村孝之助が“5萬分の1地質図幅説明書 国分(鹿児島-第82号)(地質調査所,1956)”で命名した“入戸軽石流”に振られているルビが呼称の由来のようですが、現在、公式には“イリト”だそうです。霧島市観光協会のサイトのエリア紹介ページのうち“入戸(いと)火砕流模式地”にバス停の標識の写真があります・・・“入戸”です。薩摩言葉には撥音便化が多いので、現地では“いっと”と発音されているのかもしれません[1]。国分重富入戸周辺の地質図はこちら。Itが非溶結部、wが溶結した入戸/妻屋火砕流堆積物です。
閑話休題。
入戸火砕流堆積物は溶結本質岩塊層と非溶結の火山灰層、及び異質岩塊より成る姶良カルデラ由来の地質ですが[2]、南薩に分布するものは殆どが火山灰層(It)。錦江湾に面した台地地形を形成する代表的な“シラス[3]”です。鹿児島市に近い瀬崎、岩本、小牧の一部を除けば、指宿はその後の池田火山、開聞岳火山の活動による噴出物に覆われることから殆ど露頭がありませんが、鹿児島市からの国道226号線沿いに、喜入前之浜にかけて延々と観察ポイントが続きますし、そのまま指宿を過ぎて頴娃に入れば、馬渡川河口から加治佐川河口にかけての南薩台地も阿多火砕流噴出物を非溶結の入戸火砕流噴出物が覆う“シラス台地”で、20万分の一地質図幅でご確認頂けます。頴娃地方では正月の松飾に雪に見立てたシラスをあしらうという風習もあったようですが、土壌改良の結果、頴娃でも入戸火砕流噴出物の露頭を確認することは困難になってきています。また、入戸火砕流堆積物の露頭が広範に拡がる大隅半島側では、溶結・非溶結の堆積物を掘削することで設けられた貫と呼ばれる水路坑も残されていますが、これも南薩では一般的な構造物ではありません[4]。右上の画像は南大隅町の雄川沿いにある現役の貫です[5]。
これまでのところ南薩台地(頴娃)では満足できるだけの画像を確保できていないことから、取り敢えずは外城市の露頭で代用しました。非溶結の火砕流堆積物を利用するのは薩摩の山城では一般的な形態で、画像の露頭の上部も松尾城(指宿城)の縄張りの一部(陣ノ尾)でした。下の画像をクリックして頂ければ、地質調査総合センターの地質図の該当部分をpop-up表示します。いずれ満足できる露頭を頴娃で確認できれば、それに差替えたいと思っています。
池田 et al.(1995)[6]は、宮崎県高崎町迫間で採集された試料の炭素14法による測定結果に基き、地質年代を2万4,380±1,180年前としていますが、同地の試料からは、より新しい年代値も得られています[7]。宝田 et al.(2022)[8]に拠れば、入戸火砕流の推定噴出量は500〜600 km3(マグマ換算200~250DREkm3)。このうち180~200km3(75~80DREkm3)がカルデラ内、300~400km3(130~170DREkm3)がカルデラ外に堆積したと推定されています。また火砕流によって発生した姶良Tn火山灰の体積300km3(120DREkm3)を加えた総噴出量は800~900km3(320~360km3)と、従来の推計値の約1.5倍。大隅降下軽石、垂水・妻屋火砕流といった入戸火砕流に先行した一連の噴火活動を含めた姶良入戸噴火全体の火山爆発指数(VEI:Volcanic Explosivity Index)は7~8と推定されています。この文献には東京都八丈町、群馬県高崎市の露頭の画像も紹介されています。
開聞岳由来の指宿の“コラ”と共に、頴娃の“シラス”は農業従事者にとって生産性向上の阻害要因となり、それぞれがその改善に取組んできました。南九州市と指宿市の農業生産額の内訳は、それぞれの地質遺産の特性と、これに対応してきた先人の努力を反映したものであり、頴娃に於ける入戸火砕流堆積物の露頭の減少の背景でもあります。
(統計南九州;統計いぶすき)
余談ですが、かつての指宿煙草の隆盛は偲ぶべくもありません。
まあ、“雪丸”、“狩集”のバス停とかもありますから、“大概大概”で。
この洞窟や甌穴の画像は、大木公彦・湯浅秀隆“天降川中流・上流域の地形・地質に関する一考察(鹿児島大学理学部紀要 vol.45,2012年12月30日)”にも掲載されています。上の画像は大木公彦先生にご案内頂いた鹿児島県地学会主催の天降川流域巡検の際に撮影したものです。
また、荒牧(1965)には、薩摩川内市樋脇町市比野(旧薩摩郡樋脇町市比野)の試料の14C年代として、1万6,350±350年前という、極端に新しい値が示されています(荒牧重雄“姶良カルデラ入戸火砕流の14C年代:日本の第四紀層の14C年代 ⅩⅩⅡ”,地球科学 Vol.1965 No.80,地学団体研究会,1965)。
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