鬼口溶岩

瀬平 Title_瀬平

鬼口溶岩(lon)は矢筈岳の活動よりも古い時代に噴出したと考えられる110万年前頃の古期指宿火山群に属する南九州市頴娃の鬼口(おにぐち/おんのくち)の角閃石斜方/単斜輝石デイサイト溶岩で、これを覆う凝灰角礫岩相も確認できます。川辺禎久・阪口圭一“開聞岳地域の地質(国立研究開発法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター,2005年,地域地質研究報告-5万分の1地質図幅 - 鹿児島(15)第100号)”で採用された試料の二酸化珪素(シリカ)とアルカリ成分の含有量は、こちらからpop-up表示される図 に示す比率となっています。 急冷縁をもつ角礫に変質した溶岩が海岸に露出しており、溶岩が水中に流下したと考えられています。

上の鬼口側からの画像の左手前に見えるものと類似の露頭は海岸沿いに分布していて波蝕窪を形成しています。地質図には池田火砕流堆積物(Ikp)と表示されているのですが、これには以前より違和感を覚えていました。20235月の鹿児島県地学会巡検が指宿・頴娃地域となり案内役を任せて頂いたことを幸い、ご同行下さっていた大木公彦先生に現地でご判断を仰いだところ、岩相、色相よりみて南薩群層である可能性が高いのではないかとのご見解を頂伺うことができました。薩摩半島南部が大陸の一部であった時代に存在した広大な湖に堆積した湖成層で、東シナ海側の野間半島から枕崎にかけての地域の地質に触れた論文で目にすることは多いのですが、南薩も東側ではボーリング調査の柱状図以外ではあまり馴染みのない名前です。未だ情報を総合的に判断するまでに至っておりませんが、少なくとも池田火砕流堆積物と比較すれば支持したい仮説ではないかと思えます。 鬼口の波蝕窪

 

現在はバイパス架橋により国道226号線で結ばれていますが、頴娃の郡の頴娃郷と開聞郷の間にある()(びら)(瀬平)は、かつて地質図でみられる海に向かって流下した鬼口溶岩が形成した岸壁が行く手を阻む通行の難所でした。鬼口側から開聞岳を望む構図には歌川広重の“東海道五拾三次之内由井 薩埵(さった)嶺”、“五十三次名所圖會 十七 由井(薩多嶺親しらず)”を連想させる趣があります。瀬道が整備されたのは元禄四(1691)年のことで、石工安兵衛によるものと伝えられています。大野岳神社仁王像の作者と同一人物かと思われます。橋の下には当時の遺構が一部残っています。矢筈岳壁面の窪みにある観音像は、これを感謝した村人により通行の無事を祈願して納められたもの。何れも鬼口溶岩の露頭を観察することのできる遺構です。 瀬平の瀬道と観音像

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